国生み神話
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日本のはじまり~国生み伝承~
国生み
日本最古の歴史書『古事記』には日本列島がどのように誕生したかが語られています。
天地がまだ分かれる前、世界はただ漂う混とんとした状態でした。
やがて天と地が形を持ちはじめ、高天原(たかまのはら)に、万物の始まりとなる三柱(※2)の神が現れました。
その後も次々と神々が生まれ、最後にイザナギノミコトとイザナミノミコトの二柱が現れます。
高天原の神々は、この二柱の神に「地上へ降りて国土をつくり固めよ」と命じ、玉飾りがついた美しい天沼矛(あめのぬぼこ)を授けました。
※1 高天原…神々の世界のこと
※2 神様は一柱(ひとはしら)、二柱(ふたはしら)と読みます
おのころ島
イザナギノミコト、イザナミノミコトは、天と地の間に架けられた天浮橋(あめのうきはし)に立ち、まだ形をもたない海を「こおろ、こおろ」とかき混ぜました。
矛を引き上げると、矛の先から一滴一滴と潮がしたたり落ち、積もり積もって島となりました。
これを、おのころ島といいいます。
そして、二柱の神は、この島で結婚します。
日本の誕生
結婚後、二柱の神は、本格的に島々を生んでいきます。
最初に淡路島を生み、四国→隠岐島→九州→壱岐島→対馬→佐渡島→本州の順に生みました。
「大八島国(おおやしまのくに) 」
すなわち、日本の誕生です。
黄泉(よみ)の国
島々を生んだ後、二柱の神は多くの神々を生みましたが、火をつかさどるヒノカグツチを生んだ際にイザナミノミコトは大やけどを負い、命を落としてしまいます。
イザナギノミコトはイザナミノミコトを連れ戻そうと決意し、死後の世界である黄泉の国へ向かいました。
イザナミノミコトは岩の扉越しに、
「黄泉の国の神々に、元の世界へ戻れるかどうか相談します。その間、決して私を見ないでください」
と言い残して立ち去ります。
しかし、待ちきれなくなったイザナギノミコトは約束を破り、イザナミノミコトの姿をのぞき見てしまいました。
そこにあったのは、変わり果てたイザナミノミコトの恐ろしい姿でした。
恐怖に凍りついたイザナギノミコトは、思わず逃げ出します。
激怒したイザナミノミコトは、黄泉の国の醜い女神や雷神、軍隊たちに命じて追わせました。
ようやく追手を振り切ったイザナギノミコトは、黄泉の国との境までたどり着きます。
追跡が失敗したことを知ったイザナミノミコトは、最後に自ら夫の後を追ってきました。
イザナギノミコトは黄泉の国の出口を巨大な岩で塞(ふさ)ぎ、その岩を挟んで、これ限り、契りを解くことを妻に申し渡しました。
するとイザナミノミコトは、
「愛しいあなた。そこまで冷たい仕打ちをなさるのなら、あなたの国の人々を一日に千人ずつ殺してあげましょう。」
と言い放ちました。
これに対し、イザナギノミコトは、
「愛しい我が妻よ。お前がそのような非道を行うのなら、私の方は一日に千五百の産屋(うぶや)を建て、子どもを生ませることにしよう。」
と答えます。
こうして、二柱の神は永遠の別れを迎えることとなったのです。
幽宮(かくりのみや)
黄泉の国から帰ったイザナギノミコトは、穢れを払うためにからだを川で洗い、海で禊(みそぎ※3)をしました。
その際に
左目から生まれた神がアマテラスオオミカミ
右目を洗うとツクヨミノミコト
鼻を洗うとスサノオノミコトが生まれます。
イザナギノミコトは、アマテラスオオミカミに玉飾りを渡して、「高天原を治めよ」と命じました。
その後、イザナギノミコトは最初に生んだ淡路島の多賀(たが)に戻り「幽宮(かくりのみや)」を構えて、余生を過ごされたと伝えられます。 その「幽宮」にあたるのが、現在の「伊弉諾神宮」です。
※3 禊…水に浄化作用があると信じられており、川や海で身を洗い清めること
国生み伝承が今も残る
イザナギノミコトを救った桃の神様
黄泉の国で恐ろしい姿に変わり果てたイザナミノミコトから逃げ帰ろうとするイザナギノミコト。
それを知ったイザナミノミコトは怒り狂い、黄泉の国の醜い女神や雷神、軍隊にイザナギノミコトを追わせます。
イザナギノミコトは現世との境までたどり着き、目にとまった3つの桃の実を激しく投げつけ、黄泉の国の追手を退散させました。
イザナギノミコトは、桃にこれからも人助けをするようにと『オオカムヅミノミコト』と名を与え、桃は神となりました。
伊弉諾神宮ではそれに由来し、厄除けとして「神桃土鈴」や「桃の実お守り」「神桃絵馬」などがあります。
ヒルコのその後…
淡路人形浄瑠璃へ
イザナギノミコト・イザナミノミコトの二柱の神が淡路島を生む前に、蛭子命(ヒルコ)という神を生みました。
しかしながら、蛭子命は葦船に乗せてで流されてしまいます。
蛭子命は長い間漂った後、漁師の百太夫に出会い、蛭子命は百太夫に西宮の地に宮殿を建てるように命じました。
百太夫は、西宮大明神を建て、道薫坊という者が蛭子命にお仕えしました。しかし、道薫坊が亡くなると蛭子命をお仕えする者がいなくなり、天候は荒れ、人々に災いが起こってしまいました。
百太夫が役人に相談したところ、「道薫坊に似た人形を作り神にお仕えせよ。」と指示が下りました。百太夫は道薫坊にそっくりの人形を作り蛭子命に人形を舞わせてみました。
すると、荒れていた国は治まり波風も静まり豊漁が続くようになりました。
百太夫は人形を操りながら、日本中を巡ります。
後に淡路島の三条村にとどまり、人形操りの技を伝えるようになりました。
これが淡路人形浄瑠璃の起源と伝承されています。
淡路人形座HPより
